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震災4 二日目
朝、隣の奥さんが来てくれ、ストーブをつけてくれる。
朝は、カップ焼きそば。息子1歳5ヶ月。初のインスタントラーメン。
午前中はまた水汲みに小学校へ。

給水のボトルは残0。小学校の先生と思われる人に、とても冷たい対応を受け、泣きながらベビーカーを押し、今度は中学校へ。
水が手に入らなかったら、息子のミルクをどうしようか、
そればかり考えていた。

中学校にもやはり水はなかったが、「隣の仙台市の公園から水が出ているので、そこに行ってみてください」と言われた!公園に行くと、じゃあじゃあ水が出ているではないか。
ほっと一安心。これで水の心配はなくなった。
また、この日は近所のご主人が水をたくさん汲んできて分けてくれました。あ
りがたいことです。

近所の生協はとんでもない列で、とてもとても並ぶ気になれない。青果店は普段に比べ妙に高い値段で売られていて、今後ここでは絶対買わないと思いました・・・笑。ちなみに、もっとも物が乏しくなった時期に安定供給(毎日店が開く)していたのは生協でした。生協は強いんだなあと。
 
 それから、この日、避難所のベニヤ板に貼られた新聞で、実家付近の様子がはじめて伝わりました。何もなくなった陸前高田市を見た、あの衝撃。衝撃というか、喪失感というか、虚無感というか・・・もう、全身の力が抜けました。家は流されただろうなと覚悟した日でした。両親はどうか、逃げていてくれるとよいなとも。しかし、両親は日ごろから「うちまでは津波は来ない」といっていたので、諦めの気持ちもありました。

 夕方になり、隣の奥さんが「パパ帰ってきましたよ!」と叫ぶので、玄関に行ってみると、夫が・・・!
このときほどうれしいと思ったことはなかったです。もう、半年は帰ってこれないだろうと思って覚悟していたので・・・。
震災当日から、私の携帯は通じなくなっていたので、夫は相当気を揉んでいたようです。息子を思い切り抱きしめていました。
 安否確認だけということで、10分ほどで帰りましたが、うれしい職場配慮でした。
また、このとき、両親無事との情報を職場のネットワークで入手したそうで、ほっと一安心しました。後日、これは人違いとわかるのですが・・・。

 薄暗くなってきた部屋の中で、ごはんを食べていると、お隣の奥さんのご両親が迎えに来てくれました。隣県の実家に帰ることになったそうです。一緒に行きませんかと言われましたが・・・。仕事もあるので、もちろんお断りしました。

正直、たった二日ですが共同生活に疲れていたので、ちょっとほっとした面もありました。
 家中の蝋燭をつけ、息子を眠らせ、ガスでお茶をわかして飲んでから、眠りにつきました。余談ですが、結婚式のキャンドル!あって良かったです・・・笑。
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震災3 一日目
 朝。

7時に起きて、まずはリビングとキッチンをざっくりと片づける。
隣の奥さんを呼び、当面5人で生活しましょうということにしました。

隣の奥さんはなんと、反射式ストーブを持っていて!!
それを持ってきてくれて、つけてくれました。
我が家も灯油だけはあったので、こればあれば暖は一安心です。

この日の朝は、職場からわけてもらったバウムクーヘンや、
パンを食べたような。。。

午前中は、近所のスーパーに並びました。
二時間、息子をおんぶしてやっと順番が。
青空マーケットで、カップラーメンやお菓子、チーズ、ゼリー、ジュース、そんなものを購入。
一番欲しかったパンは売り切れていてありませんでした。

それから、近所の奥さんにプロパン使えると聞き、
ガスをつけてみると・・・・つく!!!!!
これで温かいものが食べられるし、カップラーメンも食べられる!
でも、ガスもプロパンがいつ補充されるかもわからないし、
節約しなければと思いました。

午後は、近所の小学校に水汲みに。
意気込んでたくさんのペットボトルやポットを持って行ったら、
給水のタンクは僅かしかなく、
一人1ボトルまで(ペット2リットル)と怒られて、しょぼんとして帰ってきました。

我が家は前日のお風呂が満タン残っていたので、トイレの水も流せたし、
顔を洗ったりもできたけれど、
飲み水がこのペットボトル1本では・・・。

水をどうするか、明日はもっと考えましょうねと話し合って、
夕ご飯を17時に食べ、19時には就寝。

ちなみに、私は前日で携帯充電が切れたため、夫はじめ誰とも連絡は取れませんでした。
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震災2 帰路
仙台駅についてみると、当り前ですが真っ暗でした。
職場が煌々と明るかったので、電気が通っているんじゃないかと錯覚してしまうのです。
車のライトだけがたより。
星だけが、怖いくらい綺麗に見えました。
生涯、この景色は忘れないだろうと思いました。


タクシー乗り場はありえない行列。
歩いたほうが早いと、AERの脇から東口に抜け、ひたすら歩きました。
方向がわからず、八百屋さんに聞いたらていねいに教えてくれました。

なんとなく歩くと45号に出、ここまで来れば、と一安心。

ここからはとにかく、歩く、歩く、歩く。
しばらく歩いたと思ったらまだ宮城野区役所で泣きたくなったり。

途中、職場でわけてもらったアクエリアスを飲み、クッキーを食べた。
本当に有難かっです。

やっと家の近くまで来ると、空に火柱が上がっていて、
ボンボン、油田みたいな炎が上がっていた。
今思えば、石油タンクの火災ですが・・・夢みたいだと思いました。
夢であってほしいとも。
そこからまた歩くと、道路は水びたし。
ここまで津波は来たのかと恐ろしくなりました。

3時間歩いて、やっと家。
保育園の先生にメールし、着きましたと連絡。
そして、なんと、駐車場に隣の奥さんがいる!!!!
声をかけると、今日は車で寝るのだという。
ありがたいことに懐中電灯を貸してくれました。

部屋の中はまさに惨状。
冷蔵庫が開いて、中のものはすべて床に落ち、棚のコップやさらも飛び出して割れていた。
レンジやテレビも落ち、足の踏み場もなかった。
なんとか通り道だけ作り、和室へ。
ここが一番被害がなかった。
布団を敷き、外の奥さんのところに戻る。
一緒に話をしていると、保育園の先生が!!!!

まずは近所のコンビニに避難し、
21時ころに戻ったのだという。
ガスがプロパンだったので、ガスで炊いて、あったかいごはんふうちゃんに食べさせたら、
いっぱい食べましたと言われて、涙涙。
先生、本当にありがとうございます。

隣の奥さんが、今晩一緒に過ごしましょうと誘ってくれたけど、
助手席で息子を抱いて寝るのがかなりきつく、しかも寒いので、
家に戻りました。

暖房はなくても家は温かかった。
余震におびえながらだったけど、
息子と一緒に少しだけ眠りました。
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